子眉嶺神社について

 本所は「延喜式神明帳」に記載された式内社と呼ばれる神社です。宇田郡一座大 子(負)眉嶺神明神大と記されています。全国で3,132座あり、陸奥国には100座、大社が15座あります。宇田郡(相馬・新地)では子眉嶺神社だけとなっています。昔、勝善宮(しょうぜんしゃ)、相善宮(そうぜんのみや)といい、俗称「奥之相善宮」と称しています。

 社伝によると、大宝2年(702年)より、およそ200年近く仮宮を造り、延暦7年(907年)の建立といわれています。延喜の朝には名神大社として案上官幣を賜り、中世には旧藩主仙台候の氏神として、社領の寄進や社殿の再建修繕等が加えられましたが、安永8年(1779年)2月7日野火のため社殿を焼失しました。寛政8年(1796年)4月、さらに仙台候によって社殿再建の起工がなされ、文化3年(1806年)に竣成されました。さらには対象7年3月に幣殿付拝殿が造営され、老朽化により平成11年8月改築されたものです。

 本社には七不思議として次のものがあります。

  • 南天の桜
  • 北斗の松
  • 七葉のくぬぎ
  • 八房の梅
  • 片葉のよし
  • 芽白の笹
  • 九曜のかしわ

等、境内にある歯石を留め、いずれも由来を語る名跡といわれています。

 南天の桜は、本社特有のものにして、南天の実の如く一か所に咲くことにより、この名があります。

 鏡池は、本社の御神水として、太古より「如何なる早天にもその泉の枯るゝことなし」と云われています。

御祭神
豊受比賣之命

五穀豊穣の紙で伊勢の外宮に祀られている。衣食住の恵みを与えてくれる産業の守護神。群の姫の悲恋にまつわる伝説がある。姫が船で海に流され、今神浜にたどりついた。それを糖塚権太夫という者が助けた。その姫を祀ったという伝説がある。ほか3つほどの説が伝えられる。

アクセス

延喜式内社 子眉嶺神社こびみねじんじゃ
〒979-2611 福島県相馬郡新地町駒ケ嶺字大作44
北緯37度51分8秒東経140度53分46秒